相手の嫌いなこと=自分の中にあるモノ


今回は、悩み・思考整理の過程で1つの答えに自ら行きついた方の事例を、本人に許可をいただいた上で大まかに紹介します。
この方は仕事をしている中でどうしても好きになれず、もう関わるのも嫌になりかけている人がいました。自分の主張ばかりしてこちらがこうではないかと話しても変わることはほとんどなく、周りとトラブルになることもあると。

この話を聞いて、まずは具体的にどんなことがあったのか聞いていきました。

すると、1つずつ出していく過程で依頼者はふと動きと表情を変えました。

一体何があったのか?

依頼者から出てきた言葉は「あれ?この要素、私にもあるかも…」
そして、続けて出てきたのは「私はこの人が羨ましいんだ…」ということでした。

特定の集団で生きていくには時に自分の言いたいことややりたいことを抑えながら動かざるをえない場合もあります。

あなたにもそういう経験はあるでしょうか?

ただ、その嫌いだと感じた人は、その制限なく言いたいことややりたいことを出せている、”実は私もそうしたいんだ”と気づいたそうなのです。

この段階に来ると、相談前にその人へ感じていた怒りや拒否感は減弱し、「私は○○さんの存在を認めよう」というところに落ち着きました。

存在を認めるとは、何から何まで言うことを聞くということではありません。
相手の言動を距離を保ちながら一度受け止め、その上で本当はどうしたいのか話をしてみるということです。

イライラしたり嫌になったりすることは、仕事だけでなく日常生活でもあるでしょう。

ただ、そこで感情が動くということは、それを感受するセンサーが自分の中にあるということです。
もし自分の中にないことならその行為に何も感じないか、「別にいいんじゃないの?」という態度をとるかもしれません。

言い方を変えると、小さな○○さんは自分の中にもいるということです。

それを否定するということは、自分自身をも否定することに繋がる可能性があります。自分を否定することは辛いものです。
依頼者はその人の言動は別として、「○○さんの存在は認めよう」という答えに行き着きました。

この段階にきた時の依頼者は眉間にシワを寄せた早い口調から、穏やかな表情とゆったりした口調に変わっていました。

“行為は否定しても存在は否定しない”

現代のギスギスした社会に必要な要素かもしれません。