フォーカスし過ぎて○○にハマる

世の中、様々なことが起こります。
良いと感じることも悪いと感じることも。

ここ最近は「今の教育の在り方ってどうなの?」という話題を様々な地域で見聞きします。
・受験を意識しすぎたカリキュラム
・型にはめられているような進め方
・インターネットの発達で
目に見えにくくなったイジメ
・不登校や引きこもり

こういったことキッカケに教育に関する講話やイベントが開かれるのかもしれませんが、

この教育だけを切り取って議論すると、意外や落とし穴にハマってしまうことも否定できません。

どういうことかというと、『そもそも教育を何のためになぜするのか?』という大本を見ず話を進めると、”あの方法は良い” “この方法はダメ” “最新の○○教育 “と方法論のループに陥る可能性があるからです。

他で例えると、

庭木をキレイにするという大義であったはずが、「このノコギリで切るのがいい」「いやチェンソーだ」「いや、ここはやはりハサミで…」と道具や方法にフォーカスし過ぎて目的を見失ってしまうようなものです。

この文章を読んでいる方の中には、最終的に庭がキレイになればいいじゃん…と感じた方がいるかもしれませんが、そう思えるのは、一歩引いたところから大義と手段の関係を見れているからです。

これができていれば、「この場所は手で」「ここはノコギリで」「そしてここはチェーンソーで一気に」と状況に合わせて選択できるのですが、自分事になってしまうと意外と忘れてしまいます。(私もまだ陥ってしまうことがあります)

だから、教育のことを議論するにも
・かかわる社会の歴史と情勢
・地域や国が向かおうとしている方向
・お子さんの過去・現在・未来
を加味する必要があると思っています。

もちろん、手段にフォーカスするなと言っているわけではありません。ズームインとズームアウトを繰り返す必要があるということです。

さて、なんだか長くなりましたが最後にしつもんを1つ。

あなたが自分の子どもや周りの子達に学びの機会をつくる大義はなんですか?